生きるということ(2)

私たち人間は、体と頭と心を持っています。

 

体は感覚、頭は思考、心は感情として、それぞれ働いてくれます。

このうち、頭の働きである思考は、常に言語を伴いますから、

頭を言葉と置き換えてもいいかもしれません。

人間は、進化の結果、知性と理性と感情を獲得した生き物です。

では、私たちの本質はどこにあるのでしょうか。

体でしょうか、頭でしょうか、心でしょうか。

いいえ、それらはどれも人間の本質ではありますが、

私たちの本質ではありません。

私たちは、人間という生き物の入れ物を借りて、

この世に生まれてきたのです。

その証拠に、私たちは、体も頭も心も、

完全にコントロールすることはできません。

まるでそれができるかのように振る舞える人もいますが、

それはあくまでも行動の上に現れてこないだけであって、

頭が考えることや心が感じること、

そして体が生命体を維持しようと働くことのどれをも、

私たちは自分自身でコントロールすることはできません。

 

とすると、私たちの本質はどこにあるのでしょうか。

それは、たましいです。

瞑想をしていると明らかに感じられると思いますが、

頭が勝手に働き、心が勝手に働くのを、

みている自分がいることに気付くはずです。

例えば、第三世代の認知行動療法と呼ばれるACTでは、

その存在を「バスの運転手」と呼んでいますが、

その存在こそが私たちのたましいです。

私たちの本質なのです。

 

つまり、私たちは人間の体に

たましいを入れることでこの世に存在しているのです。

 

このたましいに、寿命はありません。

それどころか、個としての生があるかどうかも定かではありません。

しかし、この世に存在するために人間の体を借りることを決めた瞬間に、

私たちは他のどの生き物とも異なる私という生き物になるのです。

 

あなたが今のあなたの体を借りることを決めたのは、

あなたのお母さんの中で受精という現象が起きた瞬間です。

その瞬間を、あなたは近いようで遠いところから見ていて、

あの体を借りてこの世に生まれようと決めたのです。

あのお母さんとあのお父さんの間の子どもとして、

この世に生まれようと、あなた自身が決めたのです。

このことは、これから胎内記憶といわれる分野の研究が進んでいけば、

いずれ明らかになってきます。

ここで証拠を提示することはできませんし、

この文章の趣旨とも外れますので、必要だと思うならば

あなた自身が文献を参照してみるのもいいかもしれません。

 

人間という存在については、以上述べてきたとおりです。

次は、どうして私たちが人間として生まれてきたのか

についてお伝えします。

人間とは

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